つぶやき

仕事の合間の気分転換

寝間着でふらふら

タフなスケジュールといろいろこじれかけの案件などを抱え、徹夜明けから続行して朝の3時まで頑張ってしまった。いろんな所のネジがトんでいるらしく、7時間寝たくらいでは気持ちが前に向いてゆかないお出かけ日和の土曜日です。

今日は休日スタイルで仕事!! そう決めて選んだゆる〜いデニムとTシャツを見たパートナー曰く「まるで寝間着じゃん」いや、この服割と気に入っているんだけどね〜。

本日、寝間着で仕事です。

 

鏡観ながら「頭痛いわぁ....」と呟いたら「普段と違うようなヤバそうな痛みだったら早めに対処してね」と言われてふと妄想。

もし症状の残る病気を煩ってしまった場合、相手を介助するために、自分の生活をどこまで変えられる?

お互い結構いっぱいいっぱいで生きている。良く言えば、精一杯頑張っている。
それは、自分を満足させるためでありいま生きるため。現状、その中で生み出せる余力なんて微々たる物だろう。とてもひとの日常生活の手伝いなんてできるわけがない。

自分もしくはパートナーが、意識あるままに生涯要介助になったらどうします?「迷惑かけないように先立つ」や「心中してあげる」というお答えはNGです。

実に難しい問題だなぁ。夫婦ならあたりまえ?親子ならあたりまえ?アイさえあれば?どれくらい時間を割ける?おもいやり?くされえん?なりゆき?あなたの笑顔さえ見られれば満足?人生を捧げられる?自己犠牲?やりがい?生活の経済的な成立も含め、どこまで支えられる?

お互いどこまで相手に寄りかかって平気でいられるかが分かっているならば、どこまでもいつまでも苦しい戦いになることは明白。介助される立場を想像してとても苦しい気分になった。

その状況になってみなければ答えは出ないなぁ...。

そんな脳内討論会で「自分は人としても優等生ではない」とあらためて自覚。

いずれにしても無理はほどほど、健康には気をつけよう。

 

さてさて、今日も明日もあさっても、栄えある未来のために頑張って仕事しごと〜。

 

いま笑っていられればそれでいいじゃん。先のことはそのとき考えようねぇ〜。現状、それどころではないでしょ。ったくいつまでもどこまでも中二病ですね。逃避行動もいい加減してください。と、最近ツンデレテイストの脳内秘書。

はい、その通りです。